第3回 「倍返し」の連鎖
記事公開日:2015年05月26日
ことしの流行語(はやりことば)を見てみると、テレビドラマ「あまちゃん」から「じぇじぇじぇ」、「半沢直樹」から「倍返しだ!」などがあげられる。またドラマではないが塾講師の「今でしょ!」や、五輪招致でのスピーチから「おもてなし」なども話題になった。
いずれも、すぐにその情景が思い出されるフレーズであり、「じぇじぇじぇ」「今でしょ!」「おもてなし」などは、明るさや優しさの情緒を伴って伝わってくる。しかし「倍返し」だけは、他とは異なる響きを感じてしまうのである。
この「半沢直樹」の視聴率は回を追うごとに上がり、最終回の平均視聴率が四十二%(関東地区)という大ヒットドラマとなった。このドラマは、不正に立ち向かう熱血漢の主人公がいくつもの苦難を乗り越え、見る者をはらはらさせながらも最後には相手をねじ伏せるという、まさに勧善懲悪の展開劇に人々は共感し、カタルシス(心の浄化)を得たのである。
この話には理不尽な上司に対する怨み、憎しみ、復讐などを根底に据え、見る者の日頃のうっぷんを共に晴らしてくれるという心地良さがある。そして毎回、主人公の口から「やられたらやり返す。倍返しだ!」という力強い決め台詞(ぜりふ)が飛び出すのである。
しかしこの「倍返し」の深層にある怨み、憎しみ、復讐は、誰の心にも生じる感情ではあるが、この怨みや憎しみの心を持って日々を生きていくことが、はたして好ましい生き方と言えるだろうか。むしろその姿は、悲哀に満ちた生き方のように感じられるのである。
元国際司法裁判所判事を務めたスロバキア生まれのトーマス・バーゲンソール氏は、少年期に家族と共にアウシュビッツの強制収容所に移送され、親を殺された体験を語っている。
「収容所を出た時の私の心は憎悪でいっぱいでした。十二歳の頃です。家のバルコニーに機関銃を据えて、道を歩くドイツ人たちに向かって復讐したいと思っていましたから。それが消えるのにはずいぶん時間がかかりました。年齢を重ねることでわかってきたことがあります。それは、憎悪がある限り戦争は起き、戦争が起きれば相手を殺すことになり、また憎悪が生まれる。それはどうしてもやめさせなければならない」(平成25年9月19日付朝日新聞)
これは「憎悪の連鎖」の指摘であるが、まさに「半沢直樹」と同じ構図である。
この憎悪の連鎖が「倍返し」という流行語となり、軽いユーモアを持ったことばとして、またそれが笑顔を伴って使われていることに危惧の念を抱くのである。
あるNPО法人の調査では、おとなから「やられたらやり返して良い」と教わった子どもは、そうでない子どもに比べて、いじめの被害や加害を経験しやすいと報告している。今、子どもたちの間で流行っている「倍返し」は、「やられたらやり返す」ということを積極的に肯定し、結果としていじめ問題を助長することにはならないだろうか。
流行語の中には好ましくないことばも多いが、私たちおとなであればそれを冷静に受け止めることはできよう。しかし発達途上の子どもたちは、その直接的な影響を受けやすいことは言うまでもない。
ブッダ(仏様)の教えには、「怨みは怨みによって止むことはない。怨みを捨ててこそ、怨みは止むのである」とある。 子どもたちに、このブッダの教えを伝えていくのは私たちおとなの大切な役目である。
※本原稿は、日蓮宗新聞 平成25年12月1日に掲載した論説「倍返し」の連鎖を転載しています。